『ドラゴンクエストVI〜幻の大地』 <Dragon Quest VI> |
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発売日 1995年12月9日 定価 11400円 メーカー エニックス 内容
超有名コマンドRPGシリーズ第六弾。
世に出て、はや十年ちかくになる『ドラゴンクエスト』は、私に最初にコマン
ドRPGのおもしろさを教えてくれたゲームだ。コマンドRPGというジャンル
がまだ有名でなかったころ登場したシリーズ第一作めには、今まで接したことの
ない強い輝きが、確かに感じられた。
新しいアイデアさえあれば、即傑作というわけではない。ドラクエシリーズが
他作品と一線を画していたのは、アイデアのひとつひとつがおもしろさに結びつ
いていたからだ。さほど高性能ではないファミコンで、「こんなこともできる。
あんなこともできる」と、さまざまに創意工夫し、限られた条件下で最高にいい
ものを生みだすことに全力をそそぎ、後発コマンドRPGに大きな影響を与えた
世界観と操作しやすいシステムをつくりだした。その人気ぶりがテレビや新聞で
報道されるほどの大ヒットシリーズに成長したのも、うなずける結果である。
しかし、機種がファミコンからスーパーファミコンになった前作『ドラゴンク
エストV』を、私は楽しむことができなかった。途中でいきづまり、未クリアの
まま放っておいたため、クリアしたのは発売日に買ってから、なんと約二年後だ。
いきづまっても魅力を感じていれば、クリアのための努力をつづけるものだが、
意欲がわいてこなかった。再開して“終わらせた”のは、『VI』が出る前にカタ
をつけておこうという義務感によるものであった。決して悪くはない、優等生な
出来ではあったけれども、熱中するまでには至らなかった。
それでも、だ。シリーズ最新作が出ると聞けば、きっちり予約を入れてしまう。
とてつもなくワクワクする何かに出会える気がする、期待したほどではなかった
としても次作に注目せずにはいられない。もはやこれは条件反射、パブロフの犬、
あるいは生まれて最初に見た顔を親と思い込む、刷り込み状態といえよう。
結論から言えば、今回のドラクエは楽しめた。とてもテンポ良くプレイできる。
広い冒険世界じゅうを、事件の謎を解く探偵のように聞き込みして回る。努力に
明け暮れる毎日では疲れてくるので、息抜きもちゃんと入れてバランスをとって
ある。謎の解明までには手がかかり、やりがいがある。すこしずつ何かが進む。
今まで眺めるだけだった場所へ入ることができたときはすごくうれしい。あそこ
へ行こう、あのアイテムを手に入れなくちゃと目標が次々生まれてきて、なかな
か中断できない。コントローラーを手にしてから置くまでが長い。これだ。この
熱中度の高さ。こうでなくてはドラクエではない。
ただ、クリア後、何か足りないという気持ちが消えなかったのも事実だ。夢中
でプレイし、ところどころでシナリオのあたたかさにジーンとしつつも、鮮烈な
感動が後々まで残らない。これは、主人公に感情移入できなかったためだと思わ
れる。外見の特徴はあっても、主人公がどういう奴で何を考えているのか、私に
はよくわからなかった。ひょっとして何も考えてないんじゃないかとすら思える。
別に何も考えてなくてもかまわないのだが、最低限これをこうしたいという意志
さえ感じられない。
おそらく、キャラクターの感情描写をできるだけ“白紙状態”にすることで、
プレイヤーの自由な想像をさまたげないようにしたのだろうが、どうしても違和
感を覚えざるをえない。セリフをしゃべらないキャラクターの場合、性格描写は
物語上の演出によっておこなわれる。その演出が不足しているせいか、プレイヤ
ーと主人公をつなぐ大切な何かが欠如している感覚は、とうとうエンディングを
迎える瞬間になっても拭い去られることがなかった。これは『VI』における最大
の、そして致命的な欠点であると私は考える。
もっとも、感動が残らなかった原因には、外部的な要因も関係しているだろう。
ユーザーの、ゲームに対する目はどんどん厳しくなってきている。数々のゲーム
をこなすヘヴィプレイヤーは哀しいかな、ちょっとやそっとのことではもう驚け
なくなっているし、類似品が大量に出回る現在、ドラクエだけが持っていた独自
性は失われつつある。
セガサターンやプレイステーションなど、新しいゲームマシンのソフトは構図
の角度や質感が新鮮だ。絵の表現力の幅が一気に広がっており、同じジャンルの
ゲームでも、従来とはちがったプレイ感覚を味わうことができる。スーパーファ
ミコンソフトであるこの『VI』も、グラフィックの描きこみがいっそうこまかく
なり、華やかさを増してはいる。が、基本的なシステムデザインには、ほとんど
変化がない。プレイしているとファミコン時代の冒険を思いだしてなつかしいの
は、そのせいでもある。シリーズの個性を尊重し継続させ、そのうえで新しさを
取り入れようとしているのはわかるのだが、大幅な改革はなされていない。あま
り変えるとドラクエらしくなくなってしまう、と危惧しているようにも見える。
昔のスタイルを守れば必然的に古さを生じる。マンネリズムは退屈を生む元と
なる。そのうえ、影響を受けたのか偶然似てしまったのかはわからないが、シナ
リオや表現方法に、他メーカー作品を思い起こさせるものがチラホラ見受けられ
た(特に、データイースト『ヘラクレスの栄光』シリーズ、スクウェア『ファイ
ナルファンタジー』シリーズおよび『ロマンシング サ・ガ』シリーズ)。前作
から薄々感じていたことであるが、コマンドRPGの手本として模倣され、コン
ピュータRPGの先頭を走りつづけてきたドラクエが、ようやく他のRPGと同
じ勝負線上に並んだ印象を受ける。
とはいえ、著名度の点でドラクエは、いまだ圧倒的有利な立場を確保している。
一定レベルの質さえ保っていれば、今の地位が簡単にゆらぐことはないのだろう
し(ただし、時代はどんな大御所も気を抜けば落伍する段階に突入している)、
他に目立ったヒット作がないエニックスの大黒柱、という見かたをすれば、慎重
になるのもわからないではない。それにしても同じ六作めでも、RPGの新たな
道を切り拓こうとしたスクウェアの『ファイナルファンタジーVI』とは、なんと
対照的であろうかと思わずにいられない。どちらも、良い作品の完成を目指して
いるのに変わりはない。選択した方針が異なるだけなのだ。
ドラクエらしさとはいったい何だろう。コマンドウィンドウのデザイン。細部
まで心をこめて書き換えられる笑わせ考えさせるメッセージ。ユーモアあふれる
敵キャラとの戦闘。いろいろな要素が挙げられるが、ひとつのイメージとして私
は、新しいおもしろさを編みだしてコンピュータRPG界(ひいてはゲーム業界)
をひっぱっていく先駆的存在、それこそがドラクエだと考えていた。どうやら、
この考えを訂正しなければならないときが来たのかもしれない。
ドラクエシリーズが旧態をひきずりながら生き長らえる“生ける化石”のよう
になろうとも、要はおもしろければいい。「凄いグラフィックや斬新さをむやみ
に強調するより、まずはていねいにつくりこむことが大切であり、そういうもの
こそ売れる」という基本を再認識させてくれる指標として、その理想像の体現者
として、胸をはっていればいい。それもまたひとつの道である。
ドラクエであることに必要以上にこだわれば、多くを望みすぎて、目の前の展
開を素直に楽しめなくなる。それだから私は、悪くいえば平凡な前作『V』を楽
しむことができなかったのだろう。もったいない話だ。たとえ以前より新しさが
感じられなくなっても、平均以上の質を備えたゲームであることは確かなのだ。
どうせなら、楽しんでプレイしたいではないか。
新作が続々と発売される現況においては、予約して買うゲームには「どうして
もすぐに遊びたい」との真の期待がこめられている。その数は年にほんの数本だ。
一度にたくさん買い込んでも遊びきれないし、時間がたつと値下がりが始まり、
何も急いで買うことはなかった、ということになるからである。そのなかでドラ
クエシリーズは私に問答無用で予約させるソフトであり、これからもそうであり
つづけるだろう……“新しさ”と“おもしろさ”を追求する二つの翼の、せめて
後者を維持しているかぎり。それでもできればかつてのように、両翼で思いきり
高くはばたいている姿を見たいと願うのは、私だけではあるまい。
'96 3/2 NIFTY-Serve FBOOKC
原稿売込み会議室 #633
(登録日 '96/10/30)
ソフト発売 1995年12月 備考 感想