『ワンダープロジェクトJ〜機械の少年ピーノ』
<WONDER PROJECT J>

発売日 1994年12月9日
定価 11800円
メーカー エニックス
内容  章ごとに展開する、育成シミュレーション風アドベンチャー。


 有名童話「ピノキオ」の設定にSFの味つけをした物語。この作品は、ゲーム
としての楽しさを備えつつ、機械人形ピーノの成長を描いた記録フィルムである。

 「スーパーファミコンはCD−ROMと比べると、アニメ絵で物語を見せるの
には向いてない。声を出すのにも限界がある。映画っぽい見せかたをしたいなら、
CD−ROMにかぎる」という既成概念がきっぱりと壊された。確かに、声入り
の主題歌が流れるわけではないし、容量にまかせたバリバリのアニメーションが
盛りだくさんなわけでもない。が、主人公ピーノが(わずかなセリフ数ではある
が)まるでCD−ROMソフトのようにクリアな音質でしゃべるのに、まず驚く。
そして、豊かな表情と動作表現、しっかり描きこまれたドラマティックな構図の
背景描写。映画のつくりを意識しているのがわかる。ロムカセットでもここまで
がんばれるのだということを見せつけてくれる。

 アドベンチャーといっても、「はなす」「しらべる」などのコマンドを選択す
る、昔ながらのタイプとはまったくちがう。育成シミュレーション風・立体アド
ベンチャーとでも呼べるだろうか。この作品の場合、パラメータ数値の上げ下げ
は物語と世界観を味わうための手段であって、目的ではない。
 従来の2次元アドベンチャーでは、いきづまると同じ一枚絵を何度も何度も見
なければならないので飽きてくる。しかし、3次元フィールドなら、さまざまな
動作や景色の流れを楽しむことができる。ピーノのキャラクターサイズが大きく、
生き生きと勝手にあちこち動き回るので、表現に幅が出る。

 一見するとアクションゲームのように見えるが、アクション性は薄い。タイミ
ングを要求される部分も一応あるが、むずかしくはない。プレイヤーは、妖精の
ティンカーを動かして、機械人間ピーノを誘導する。間接操作である。三重苦の
ヘレン=ケラーを導くサリバン先生のごとく、叱り励ましながら、ひとつひとつ
の動作を教えていく。
 いいことをしたら、すぐにホメる。悪いことをしたら即、注意する。すると、
ある瞬間に突然「ひらめいた!」状態になり、やっとひとつの動作を覚えこむの
だ。かなり根気が要る。愛情をもって辛抱づよく見守らなければならない。母親
が、幼い子供をしつけるのと同じように。
 「まどろっこしい、なぜ直接操作にしないんだ?」とも思うが、これが作品の
個性なのである。操作に慣れるまでちょっと時間がかかるかもしれないが、親切
な説明がなされつつ進むので、無理なく入っていけるだろう。

 ピーノの反応がじつにほほえましい。ピーノが正しい行動をしたのに、わざと
ポカッと頭を叩いてみる。殴られた彼は納得がいかず、泣く。スネる。そこで私
は画面に向かって「ごめん、ごめん、悪かった」と謝る。……こんな気分屋な奴
に育てられたのでは、たまったものではない(笑)。
 彼がどういう性格になるかは、さまざまな出来事を通して変化するパラメータ
の数値によって決まる。育成シミュレーション特有の、地道な数値上げ作業は、
ちょっとめんどうくさい。が、キャラクターに動きがあるおかげで飽きにくいし、
苦労が想い出の映像としてプレイヤーの記憶に蓄積されていくため、物語に厚み
が出る。あっさり進みすぎると、おもしろくない。ある程度の苦労を調味料にす
れば、全体の味はいっそうひきたつ。

 ピーノがいろいろなことを学ぶ場面と、実力を試す場面とが交互にやってくる。
つまり、練習と本番を繰り返すわけだ。練習時の、数値に縛られたゲーム画面は、
本番で一気に映画のスクリーンへと切り替わる。プレイヤーはいっさい手だしが
できない。操作も回復も逃走も不可能になり、自動的にピーノの実力が試される。
 ただ見物してるだけなんてつまらない、と思ったら大まちがいだ。ひたすらに
傍観することが、こんなにも手に汗にぎるものだったとは知らなかった。スポー
ツ競技を観ていると、自分が選手の立場ではないのに、いつのまにか熱くなって
しまうのと一緒である。直接助けてやれないのでハラハラしつつ、祈る。今まで
懸命に努力し、経験をつんできた彼の姿をずっと見てきている。信じるしかない。
(……あんなにがんばってきたんだもの。負けるな。がんばれっ)
 そう念じて、応援に力をこめるのだ。

 もしも、戦いの場面がごく普通のアクションであったなら、はたしてここまで
感情移入できたかどうか。アクションの苦手な人は、自分の操作がヘタなせいで
先へ進めなくなり、上手な人は、なんか物足りない、といった不満を持つことに
なったかもしれない。何より、平凡で新鮮味がなくなっていたことだろう。
 PCエンジンのCD−ROM作品に、『未来少年コナン』(日本テレネット)
というアクションゲームがある。TVアニメの雰囲気をなかなかうまく再現して
いて、ファンには涙ものの出来だ。ストーリー展開をキャラの多彩な動きで見せ
る試みは、『〜J』と共通するところがある。だが、難易度は決して低くないの
で、アクションが苦手だといつまでたってもエンディングを見ることができず、
途中で投げだしてしまいかねない。その点、『〜J』はアクション部分を大胆に
捨てさることで、物語の息づかいを殺さないことに成功している。

 アクションはアクションならではの良さがある。だが、物語を重視するなら、
ときとしてアクションは邪魔になる。「クリアできた(できない)」というアク
ション部の満足・不満足が、物語の展開よりも印象ぶかくなってしまいがちだか
らだ。手段に集中しすぎて目的を忘れる。これは、RPGにおいて戦闘が全体の
比重を占めすぎた結果、ラストボスを倒した瞬間「……なぜコイツと戦っていた
んだっけか?」などと、本来重要であるはずの物語の筋が、戦闘作業にかき消さ
れてしまう現象に似ている(むろん、戦闘に負けるシナリオにも問題はある)。
観戦のみのシステムにしたことは、物語のテーマを伝えるために、かなり有効だ
ったのではないだろうか。

 ひとつの物語を体験するアドベンチャーゲームは、クリアまでの時間が比較的
短い。一度遊んだら終わりで中身の密度が低い場合、物足りなさをおぼえる。本
作品も、シミュレーション要素があるとはいえ、基本的にはアドベンチャーだ。
トータルのプレイ時間はそんなにかからない。「すぐ終わってしまうゲームは損。
できるだけ、長く遊べるもののほうが得だ」という考えからすると、『〜J』は
えらく“ぜいたくな”作品、ということになろう。そのあたりのこともちゃんと
考慮されており、クリア後もちがった気分で2回めを遊べるよう工夫されている。
しかしやはり、量が第一ではない。問題は質だ。

 新しいものをあみだし、いい作品に仕上げるのには、大変な労力を必要とする
ことだろう。“コミュニケーションアドベンチャー”というジャンルをここまで
魅力的に仕上げた『ワンダープロジェクトJ』。とても楽しめた。冒険活劇映画
とゲームの、あたたかなハーモニー。すてきな物語を味わい終わったあとの熱い
心臓のドキドキが、このソフトにはある。


'95 11/3 NIFTY-Serve FCGAMEM
     ファミコン&スーパーファミコン会議室 #13533(改稿)
                    (登録日 '96/11/6)
ソフト発売1994年12月備考なし